うみをすすむ

0歳10ヶ月、網膜芽細胞腫(レティノブラストーマ)という目の小児がんで右目を摘出した息子との日々のこと。病気と向き合う記録。

着床前診断のこと

数日前に大きく取り上げられていますが現在着床前診断についての議論がされています。その発端は息子と同じ「網膜芽細胞腫」を抱える当事者の方からの提起です。

www3.nhk.or.jp

 

命の危険はないからと対象となる重篤な病気にはあたらないとされ、一旦は拒否されていたのですが再び議題に上がることになりました。

 

命の危険は•••実際はあります。医師達の努力によって確率が大幅に下がっただけで治療法と言えるものは確立していないです。

発見が遅れて亡くなってしまった子もいますし、転移も起こりえる。多分この病気が子供にあると分かった全員が恐れている

「三側性網膜芽細胞腫

稀ですが脳腫瘍を併発してほぼ助からないと言われているものもあるんです。

分かって1年、片眼性とみられていても特に念入りに検査するのは再発・隠れ両眼性とこの三側性網膜芽細胞腫が出ないか見張るためです。

 

生後数日で見つかっても治療が数年に渡ることもある。全盲になることもある。治療による後遺症も様々。しかも遺伝子が関わってる。

それにどんなに早期発見でも何もなかったように直った子は多分殆どいないんじゃないでしょうか。

重篤でない、日常生活に支障が出ないと言い切ってしまえるのか。ものすごく複雑な病気です。

 

遺伝性だったら子供に50%の確率で遺伝してしまう。1/2って、なるかもっていう確率ではないです。(両眼・片眼、更に非遺伝性で遺伝しないタイプもあるのでそこも説明がややこしい...)

 

それをさせたくない

というのは痛いほど分かります。

 

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この話をするにあたってはまずこの「着床前診断」と「出生前診断」を混同しないことが大前提。2つは違うもの。「着床前診断」は<妊娠前>の話。

今は重篤な遺伝子疾患が伝わらないために、また繰り返す流産に対してされています。ここが間違った認識だと進みません。

 

あと良く出てくる「命の選別」という言葉は正しく美しい言葉のように思えるけど、同時に全ての思考をストップさせる魔のような言葉でもあると思うんです。意味は分かりますがこの言葉からは一旦抜け出し、議論されるべき。

 

 

産むべきではない、産むこと自体を考え直せ、なんてことを沢山見かけたけれど、そんなこと誰も言う権利なんてない。

この申請を出すにあたっても沢山葛藤して葛藤して家族でも散々話して悩んで決めたんだと思います。ここまで来るのだって生半可な決意ではできなかっただろうし(手続きな意味も含めて) 

 

当事者にとって、家族にとってどれだけの想いがあるか...どうか簡単に言わないで欲しいです。

 

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私は最初反対ではなかったけど賛成でもありませんでした。

 

息子の病気が分かった当初は遺伝が関係してる病気なのに遺伝のことをきちんと教えてくれる場所も、人も居なかった。あったかもしれないけど連携していなかった。それはもうクエスチョンだらけだったんです。

 

また、上世代の親は本人に事実を殆ど伝えていなかったりもで。そもそも医師からも聞かされてもなかったのかもしれませんが。当人も結婚や出産があって初めて分かったというような話も聞きました。

 

当事者、親達がまず理解してない。理解できる環境がなくて知識がないままで進めても誤解を生むばかりだから、まず正しく理解するための環境整備の方が先だろう、と考えていました。

 

でも最近やっと遺伝カウンセリングだったり、該当遺伝子検査だったり、勉強できる場だったりそういう環境が身近になってきたんです。今回申請された方も含めいろんな方の尽力もあります。

(ちなみに欧米では網膜芽細胞腫着床前診断も、遺伝カウンセリングも既にだいぶ前からされていることだそうです。議論も整備もめちゃくちゃ遅れているんですよ)

 

 

生まれてからも何が起きるか分からないし、網膜芽細胞腫の発症を防げたとしても他の病気を持って生まれて来る可能性もある。それはまた別の話で。

そして病気を持って生まれた子の存在や人生を否定してる訳でもない。

 

 

ただただこの病気の遺伝の連鎖を断てるような技術があるなら選択できる方がいい。もうそれは心から思います。

 

本人がそれを望む、望まないもあっていい。一本に収束する問題でもない。それも含めて少なくとも今闘病してる子供達が将来「選択」できるようになっていて欲しいです。

 

その選択肢がある、ないが大きいんです。