うみをすすむ

0歳10ヶ月、網膜芽細胞腫(レティノブラストーマ)という目の小児がんで右目を摘出した息子との日々のこと。病気と向き合う記録。

小学校入学

先日無事に小学校入学しました。

息子が一年生だなんて・・・信じられないなぁ。
「ただいま〜」と翌日自分で帰宅してきた時はちょっと感動してしまいました!(もちろん集団で帰っています)

小学校入学にあたってやったことをメモしておきます

◎事前に校長先生と教頭先生と面談
 お時間を頂き、義眼や片目についてご理解をいただくと共に、色々お話をしました。書面にしてお渡ししています。注意点や、生活の上で出てくるかもしれない問題点など。

◎入学式後保健室の先生とお話
 こちらも義眼や片目のことについて理解をいただくと共に、実際に外してみてもらいました。息子にも何かあった時には保健室にいくように、と伝えています

◎ケアセットを預ける
 保育園と同じで、スポイト、目薬、アイパッチなどを保健室に置かせてもらいました。

◎同級生には伝えていません。

担任の先生には多分家庭訪問でお話すると思います。


あと、学童。公立の学童(学校内ではなく、場所は離れています)が100人超えの大所帯+外遊び重視+よく言えば自主性に任せるところで悪く言えば放置。息子の性格と完全に逆・・・・完全にダメなパターン。お友達も多くて一緒には良いんだけど、多すぎは苦手で黙々と何かをしたいタイプ。

色々考えたのですが近くにあった民間学童を利用することにしました。ちょっとお金はかかるのですが、まだリーズナブルな方で夏休みも含め保育園代を移行する感じに納まる、宿題もきっちりできる、アクティビティも充実、など良い感じでした。

少人数だし年齢が上がって力も強くなるので義眼であることを話した方がいいとのスタッフからの意見で始まってから子供達に話してもらっています。こちらもケアセットを預けてあります。


今の所問題なく、どちらも楽しく通っていてホッ。
が、新しい環境、毎日の時間配分、生活の変更で親の方が頭がいっぱいいっぱい!!まだついていけてない感じです!

卒園の日

保育園の卒園を迎えました。

小規模園から大規模園への転園を経て2回目の卒園式。
アットホームなのんびりとした園から、人数もかなり多く毎日の遊びも多彩な園になって正直心配だったけれど、それでもどこか安心があったのは提携の園での転園で、担任も一緒に持ち上がってくれたことででした。

息子への配慮が大きかったのではとも思うけれど
転園による精神的な心配も少しあったので本当に心強くて感謝しました。

目のことに加えて
身体的な成長がゆっくりで。時々周りのスピードについていけないこともあったけれど、息子は生来のマイペースさと根気強さと頑固さで時間をかけながらも追いついて。そしてなにより担任をはじめ、周りの保育士の方々が息子のペースや性格を尊重してくださり、同じ歩みで進めてくれました。

5歳くらいになってから驚くほど積極的に、そして感情表現が豊かになり、苦手なものにも立ち向かう強さを得たこと。
笑顔が一層増えてお調子者になったことも。園のおかげだと思います。

義眼が取れてしまったこともあったけれど
変わらず、いや変わったのかもしれないけれど、どの子もずっと息子のそのままをそれぞれ受け止めてくれました。


保育園ってなんだかユートピアのようで
あたたかく緩やかで、自由で、豊かで何ものにも縛られない感じでした。この年齢にしかないまっすぐで美しい世界。
この先は楽しみではありますが、このキラキラした時間が終わってしまうのが寂しいです。


病室の悲しい日から5年。
こんなに笑顔で
沢山のお友達に囲まれて卒園できる日が来るなんて想像できなかったな。

沢山悩んだりもしたけれど、それ以上に幸せでどれもこれも大切な日々。


卒園おめでとう。


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今病気が分かったり、義眼を使うことになったりして入園が不安なお父さん、お母さんへ。

心配も、悩みも、想像していることを遠く超えて
子供は嬉しいこと、幸せなことを自分で掴んでいきます。きっと大丈夫です。

まもりがめの会 旅するお話会

小児の義眼の会の運営に携わっているのですが
先日あった関東の会に参加してきました。

私が代表とこの会を作ろうと思ったきっかけの一つに
「垣根を無くすこと」があります。

垣根。
小児ガンのひとつである網膜芽細胞腫は家族の会があって、少ないとはいえ義眼の情報がまだあります。

でも小児期に同じ義眼が必要となる「無眼球症」「小眼球症」「PHPV」他・・・会がないということを知りました。それらの疾患が由来の義眼の子供や親はどこにいったらいいのか。



だから
疾患でくくらない
拠点に縛られず、必要な人がどこにいても情報が得られるように

というのが芯にあります。



今回本当に沢山の方が参加してくださって、子供もわいわい。そんな風になったらいいな、というものが少しずつ実現してきていて嬉しかったです。



出た話についてはまとめて後日掲載していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。
義眼が必要なお子さん、親、そして当事者の方もタイミングが合えば是非ご参加くださいね。参加できなくてもレポートは読めるように掲載していきます。(由来の疾患は問いませんし、両眼、片眼も問いません。)

一人で悩まずみんなで解決、できたらいいよね。
代表も最後言ってたけれど、参加している人はみんな味方。
だからここなら泣いてもいい。遠慮はなしでいいんです。

そんな場所が今までなくて、やっとできたんです。

mamorigamenokai.wixsite.com

5年目の今日

五年前のクリスマスの日。
子守にきてくれていた母が残した
「目がきになる」という言葉
私もひっかかって、夜、検索をしてまわって。

そうして出てきた「目の癌」は息子の目とそっくりで。
入ってくる言葉は想像を超えたものばかりで胸がドキドキして、帰宅した母に何度も電話して。気のせいだよと言われるけれども収まらない胸のドキドキがあって。帰宅した旦那さんも気のせいだよと言うけど、ずっと動悸は収まらない。
あれは直感だったのか、何なのか。


小児の病気のダイヤルに電話したりして。
当然だけど夜に目を診てくれるところはないし答えはなかった。それでも何かしてないと落ち着かなかった。(網膜芽細胞腫のことですか?とオペレーターが言ったのは覚えてる。この日の人は病気の知識はあったんだな)


寝息をたてて寝ているのに目を何度も何度も覗き込んで。そうしたら、光る奥に血管のようなものが見えて。

ああ、と

どこか確信がありながら、何でもないようにと
どうか癌ではありませんようにとまた検索をして、そしてまた何でもないようにと願って


何度も何度もそれを繰り返して。


朝一番早くやっている眼科を調べて、
早く朝にならないかって思いながらまた調べて。

朝が来てすぐに調べた眼科に駆けつけて
一通り見た医師が告げたのは
「すぐに大きな病院へ行ってください」という言葉。

確信のようなもの、だったのが現実になった瞬間。


その足で紹介状を持って大きな病院へ
見たことがないくらい医師が集まってきて、坊を取り囲む。


この子はどこに行ってしまうのか


側でぼそっと呟いた、たぶん聞かれてると思ってない看護師さんの言葉は忘れられない。



「これからが大変」







今日は5年目のその日。

寛解といわれる日。


大変だったこれからの先。

今でもあの時の気持ちや、色をだんだんと失くしていった景色や自分がどこか遠いところに取り残されてしまったような感覚は鮮明にあって今日は街を歩きながら、ふっとよぎって時々泣きそうになってしまった。



今年も母がきてくれて、息子をみていてくれて
あの日から変わらずにあるものもある
変わったものもある。



でも何より、あの日まだ赤ちゃんだったあの子が大きくなってクリスマスを楽しみにして、プレゼントにけらけらと笑っている姿があって5年目を迎えられたこと。
(厳密に言えば、手術をした、目を返した29日なのかもしれないけれど。この日も一生忘れない)


私にとって何よりのプレゼントだった。


神様がいるかどうかは分からないけれど
あの日助けてくれた人、
今まで出会って支えてくれた人
その数を思うと、いるのだと思わせてください。


神様、目は取らないで欲しかったです。
今でも、多分これからもずっと思っています。
あのくるくる可愛い目があのままあったとしたら、どんな顔だったかなって時々思ってしまいます。



でも今の義眼の目も、今の顔も大好きで病気と共にあったこと全ても愛おしく大切な日々です。



たられば、は消せないけれど、心からそう思うのも本当です。

そして息子が元気で自分の道を進んでいける未来を与えてくれたことに感謝しています。
これからの毎日がもっともっと楽しく美しく、発見に満ちたものでありますようにと願っています。

外来 2018.12月(記録)

小児科の年内の外来はなかったのだけれど

眼科だけ予約を取っていて、これが2018年最後の診察。

 

目が痒いと本人がいうことが多く、つらそうだったのでそれを中心に診てもらいました。

冬の乾燥からくる目の周りの乾燥が原因。

痒みを抑える、またばい菌を抑える目薬を処方してもらいました。

それにしても、機械に顎を乗せて目を先生に見せるという一連の動作が泣かずにスムーズにできる。

それどころか先生におどけたところまで見せられる。

義眼も自分で取れる。

 

大きくなったなぁ

 

坊の病院は寛解したあとでもずっと定期的に診て行く感じでまだまだお世話になります。

でも頻度はずっと少なくなります。

眼科だけってはじめてでした。

 

「〇〇の部屋(入院病棟)行かなくていいの?

ぼくちょっと泣くかもしれないけど頑張れるよ!」

 

なんて言ってきて。

うるっとしてしまった。

 

ここはずっと5年間坊にとっても身近な場所だったよね。

 

「すっごく頑張ってきたから、あれはもう1年に1回でいいんだって」

 

っていったら

「そっか!」

 

ここに通院してたことはこれから

彼にとってどんなベースになっていくんだろう。

 

痛くてつらいこともいっぱいあったけど

それだけじゃなかったね。

 

 

 

術後の入園時期、そしてまもりがめの会 お話会開催のお知らせ

最近子供が手術しました、これから義眼に。
という方からいくつかメールをいただくことがありました。
本当に網膜芽細胞腫で目を失う子供たちが一人でも減って欲しいと願っていますが、まだ医療はそこまでおいついていません。
息子のように、発覚してから僅か数日で手術をしなければならないこともありますし、
治療の末に摘出をせざるえなくなることもあります。


小さな子がかかる病気なので保育園(幼稚園)に入園を検討する時期で、義眼での入園を悩まれる方もいらっしゃると思いますので
経験談になりますが、少し書いておきます

<術後すぐの入園は可能?>

息子が入園したのは術後3ヶ月(1歳)です。眼球摘出って一大事なんですが、術後は意外と回復が早かったです。入院自体も1週間ほど(早い人は2日とかで退院をと言われる)

もちろん経過は見ていかないといけないですが痛がることもほとんどなく最小限でした。すごいですよね・・・その後約1ヶ月〜2ヶ月で義眼が入れられるようになります。

義眼が入って、日常生活が安定してくれば早い段階で入園自体は可能かと思います。

どちらかというと義眼っ子を受け入れてくれる保育園、そして入園のために説明することが最初のハードルになってくると思います。




こんなにすぐに保育園や幼稚園に入れるなんて、って悩まれる方もいるかもしれません。
外野から言われたりすることもあるかもしれない。

でも、決して日常を諦めないでくださいね。

もちろん無理をさせたりしてはいけないし、じっくりと一緒に過ごすことも必要な時もあります。
家族の普通がそこにあるなら、その普通を諦める必要もないと思うんです。
家族の普通は色々ですから。

5年前選んだ道の先に広がっていたのは、予想していなかった出会いや、毎日に溢れていました。
病気になったからといって、毎日を縛られる必要はない。
保育士さんは第二のお母さんでした。保育士さんが居たから育児・通院なども乗り越えられた。3月に卒園を迎えますが、私多分、大泣きです。


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小児の義眼の会、「まもりがめの会」

1月に旅するお話会の関東の開催が決定しました。
義眼についての悩みを実際に話せる機会です。興味のある方はお申し込みください。
小児期の疾患・怪我などで義眼が必要になった当事者・また親の参加に限ります。由来疾患は問いません。

今回より<紹介制>を廃止して、お申し込み制になりました。
2019年1月12日(土) 旅するお話会 関東開催のお知らせ | まもりがめの会


また、なかなか会に参加できそうにない、でも義眼について相談できる場が欲しいという方のためにオンラインで相談できる場を作りました。
詳しくはお問い合わせフォームよりお問い合わせください。

ネット上でのやりとりとなりますので内容をご説明させていただいた上で了承していただいてからまたこちらも確認を取らせていただいたり、やりとりを経てご案内しています。

希少な目のがんの治療施設一覧が公開されました

網膜芽細胞腫を含む希少な目のがんの治療施設が、がんセンターから公開されました。
<希少がん診療の実績から探す>
https://hospdb.ganjoho.jp/rare/

初動でどこへ行くべきか、は参考になるかもしれません。

ただ・・・情報提供が病院側の任意のため
見た所、結構治療実績があるはずなのに載ってない病院もあります。まだあくまで参考です。


でも基幹病院が病気を細分化して情報公開をしていってるってすごく前進です!


網膜芽細胞腫の場合は
<眼内腫瘍>にチェックを入れてください。

www.asahi.com