うみをすすむ

0歳10ヶ月、網膜芽細胞腫(レティノブラストーマ)という目の小児がんで右目を摘出した息子との日々のこと。病気と向き合う記録。

5年目の今日

五年前のクリスマスの日。
子守にきてくれていた母が残した
「目がきになる」という言葉
私もひっかかって、夜、検索をしてまわって。

そうして出てきた「目の癌」は息子の目とそっくりで。
入ってくる言葉は想像を超えたものばかりで胸がドキドキして、帰宅した母に何度も電話して。気のせいだよと言われるけれども収まらない胸のドキドキがあって。帰宅した旦那さんも気のせいだよと言うけど、ずっと動悸は収まらない。
あれは直感だったのか、何なのか。


小児の病気のダイヤルに電話したりして。
当然だけど夜に目を診てくれるところはないし答えはなかった。それでも何かしてないと落ち着かなかった。(網膜芽細胞腫のことですか?とオペレーターが言ったのは覚えてる。この日の人は病気の知識はあったんだな)


寝息をたてて寝ているのに目を何度も何度も覗き込んで。そうしたら、光る奥に血管のようなものが見えて。

ああ、と

どこか確信がありながら、何でもないようにと
どうか癌ではありませんようにとまた検索をして、そしてまた何でもないようにと願って


何度も何度もそれを繰り返して。


朝一番早くやっている眼科を調べて、
早く朝にならないかって思いながらまた調べて。

朝が来てすぐに調べた眼科に駆けつけて
一通り見た医師が告げたのは
「すぐに大きな病院へ行ってください」という言葉。

確信のようなもの、だったのが現実になった瞬間。


その足で紹介状を持って大きな病院へ
見たことがないくらい医師が集まってきて、坊を取り囲む。


この子はどこに行ってしまうのか


側でぼそっと呟いた、たぶん聞かれてると思ってない看護師さんの言葉は忘れられない。



「これからが大変」







今日は5年目のその日。

寛解といわれる日。


大変だったこれからの先。

今でもあの時の気持ちや、色をだんだんと失くしていった景色や自分がどこか遠いところに取り残されてしまったような感覚は鮮明にあって今日は街を歩きながら、ふっとよぎって時々泣きそうになってしまった。



今年も母がきてくれて、息子をみていてくれて
あの日から変わらずにあるものもある
変わったものもある。



でも何より、あの日まだ赤ちゃんだったあの子が大きくなってクリスマスを楽しみにして、プレゼントにけらけらと笑っている姿があって5年目を迎えられたこと。
(厳密に言えば、手術をした、目を返した29日なのかもしれないけれど。この日も一生忘れない)


私にとって何よりのプレゼントだった。


神様がいるかどうかは分からないけれど
あの日助けてくれた人、
今まで出会って支えてくれた人
その数を思うと、いるのだと思わせてください。


神様、目は取らないで欲しかったです。
今でも、多分これからもずっと思っています。
あのくるくる可愛い目があのままあったとしたら、どんな顔だったかなって時々思ってしまいます。



でも今の義眼の目も、今の顔も大好きで病気と共にあったこと全ても愛おしく大切な日々です。



たられば、は消せないけれど、心からそう思うのも本当です。

そして息子が元気で自分の道を進んでいける未来を与えてくれたことに感謝しています。
これからの毎日がもっともっと楽しく美しく、発見に満ちたものでありますようにと願っています。