読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うみをすすむ

0歳10ヶ月、網膜芽細胞腫(レティノブラストーマ)という目の小児がんで右目を摘出した息子との日々のこと。病気と向き合う記録。

入院から手術まで(2)

発覚〜手術まで

12月28日

朝、院内の保育士さんがきて息子を見てくれている間
私、夫、母の三人で再度説明を聞きにいった。

今度は最初に見てくれた網膜専門の先生、小児科の先生3人。

眼科の見地、小児科の見地、両方合わせても昨日の回答とほぼ一緒だった。
母ははじめて画像を見たと思う。
腫瘍でいっぱいになった右目。

「あとはご両親の判断です。セカンドオピニオン、というのも可能ですがこの状態ですと同じ見解だとは思います。」
私たち二人は「摘出をお願いします」と伝えた。
昨日答えは出した。
将来私達を恨むかもしれない。
それでも
生きていて欲しい。願いはそれだけ。

「手術ですが今日か明日を考えています。先に入っている手術次第なのですが…早ければ今日の午後です。決まり次第お伝えします。」
さすがに今日、という言葉には驚いた。でもそれだけ急いでくれてるんだと思う。
こんな年の瀬に手術をしてくれるということは感謝しないといけない。
それに延ばせば延ばすほど危険度は上がる。早いにこしたことはない。

結局この日は別の手術の関係で明日となった。
そして明日のお昼。朝の手術が終わり次第となります。と伝えられた。


12月29日
手術の日。朝、息子に会いに来て夫は仕事に向かった。

手術前の息子には会うことができない。
こんな日だけど休むことはできなかった。
まわりから見たら冷たいとか、こんな日まで仕事、そう思うかもしれない。
いつもの営業なら無理を言って休んだかもしれなかった。
でも一年の中でおせちのお届けは特別。
いろんな方の新年を担うもの。
今年は早くから完売で何ヶ月も前に頼んでくださった方もいる。毎年頼んでくださる方もいる。
お客様の信頼は簡単に築けるものではない。何年もかかって作り上げてきたものだから
私たち家族にとって大切なこと。

昨日の夜も息子の寝顔をみながら私たちは準備をしていた。
でもどこか作業することで日常との繋がりを保つことができていたように思う。

朝、私の父と妹がどうしても来たいと地元からかけつけてくれて
息子の写真を沢山撮って。
息子の右目、クリクリの大きなおめめ。きょろきょろよく動くおめめ。
でも悪いものが入った右目だったからさよならしよう。


昼過ぎ、息子を着替えさせた後、名前が呼ばれ手術室へ。


眼形成の先生、小児科の先生、麻酔担当の方たち、あのお客様の眼科の先生も見届けますと一緒に入ってくださった。(後で聞いた話だとあの眼科の先生と同級生、同期の方達(皆第一線の先生方)で固めてくださっていたそうです。私が安心できるよう、また連携が取りやすいように配慮してくださっていた。)

そして息子をぎゅっーぎゅーっとと抱きしめて見送った。


「いってらっしゃい」


予定は2時間程度、眼球摘出の手術自体はそんなに難しくないそうで1時間くらい。
でも全身麻酔の為、導入と醒める時に時間がかかるとのことだった。

2時間をすぎてもまだ終わらない、皆でそわそわしていた頃、夫が昼の営業を終えて戻ってきて
そしてその10分後、手術が終わった。

息子は夫を待っていたのかもしれない。今でもそう思う。


みんなで迎えにいった。


どんな姿かと内心ドキドキもしていたけれど、目に大きなカップがはめられ眼帯をしているだけの姿。
この手術は外傷はほとんどないのだ。

まだ麻酔が残っていてふわふわした感じの息子
「おかえり、おかえり、おかえり」
またぎゅっと抱きしめて何度言ったかわからない。

「手術は無事終りました。視神経をなるべく長くとったし大丈夫だよ。僕もちゃんと見届けたからね。」
眼科のあの先生だった。
ありがとうございます。ありがとうございます。
この言葉も何度いったかも分からない。


母があの日見つけてくれていなかったら。
私たちに言ってくれてなかったら。
あの日調べなかったら、違う病院にかかったら

偶然お客様である先生が居たことも
年内、検査機器が止まってしまう寸前に全ての検査を終えることができたことも幸運だった。

網膜芽細胞腫だったことは目の前が真っ暗になるほど絶望したけれど
希望もそれ以上にたくさんあった。

この子はきっと大丈夫



そうやって息子は戻ってきた。